ハラスメント対策最前線科学的根拠をもとに進めるメンタルヘルス対策とハラスメント対策(12)

ハラスメント防止には心理社会的安全風土の醸成を

パワハラの一次予防・二次予防・三次予防

以前、第10回『パワハラ対策の一次予防、二次予防、三次予防』1において、パワハラ防止対策には一次予防・二次予防・三次予防があるというお話をしました。パワハラの一次予防は、パワハラの発生防止、つまりそもそもパワハラが起こりにくいような職場づくりを行ったり、個人の意識改革を行ったりすることです。二次予防は、パワハラにつながりそうな“火種”に早期介入することでパワハラが深刻化するのを防止すること、あるいはパワハラによる健康被害を最小限に抑えることを指します。三次予防は、パワハラの事実認定等を終えた後、行為者がパワハラをもう一度しないようにすること、そして被害者が心身の不調を再発しないようにするための対策を指します。

本連載の第10回ではまた、組織や部署レベルで行う一次予防策の一つとして「心理社会的安全風土の醸成」をあげました。今回は、心理社会的安全風土とは何か、どのように測定するのか、どうすれば心理社会的安全風土を醸成できるのかについて解説したいと思います。

心理社会的安全風土とは

近年話題になった言葉に、「心理的安全性(psychological safety)」があります。Googleがチームを成功に導く5つの要素の一つとして報告したもので、学術的には「このチームでは個人が安心してリスクを取ることができるという共通認識」を指します2。このチームであれば困難な問題も提起することができる、助けを求めることができる、ミスしても非難されることがない状態であることを示す指標です。

心理的安全性が高いチームでは、お互いの意見を尊重しよう、お互いを助け合おうという雰囲気が醸成されているので、当然ながら、敵対的な行為であるハラスメントの発生リスクも低くなります。ただ、そもそも自由に意見を言うことがあまり歓迎されない伝統的日本企業においては、「個人が安心してリスクを取ることのできる風土」を醸成する取り組みはややハードルが高いのではないかという印象があります。

そこで、ぜひまず目指して頂きたいのが「心理社会的安全風土(psychosocial safety climate)」です。心理社会的安全風土とは、「従業員の心理的健康及び安全を守るための職場の方針、実践、あるいは手順に関する従業員の共通認識」を指します3。簡単に言えば、職場でメンタルヘルス不調者を出さないために経営層が率先して方針を打ち出し行動しているか、上司が職場における心の健康や安心に関する情報を従業員に提供しているか、等を意味します。「組織や職場が、従業員の心の健康を守るために本気で取り組んでいるか」を示す指標であるとも言えます。

心理社会的安全風土が醸成されていると、従業員の心の健康を害するような事柄(例えば、ハラスメント行為等)についても「皆でなくしていこう」という認識になり、それらがハラスメントの発生を減らす効果をもたらします。実際、オーストラリアの研究において、心理社会的安全風土が醸成されると、4年後にいじめやパワハラが減ったことが報告されています4。このことから、パワハラ発生後の対応(二次予防・三次予防)よりも、心理社会的安全風土の醸成という一次予防のハラスメント防止対策の方が、実際にハラスメントの発生を減らすことに効果的であると結論づけられています。

心理社会的安全風土の測定方法

2021年12月に、心理社会的安全風土測定尺度の日本語版の信頼性と妥当性を検証した論文が発表され、日本人を対象にしても十分に信頼性と妥当性のある尺度であることが報告されました5心理社会的安全風土尺度は、4つの下位概念(経営層のコミットメント、経営層の優先順位、組織のコミュニケーション、従業員の組織参加)から構成されます。それぞれ3項目ずつあり、全部で12項目です。いくつか項目を紹介します。

経営層のコミットメント
・従業員の心の状態が懸念されたら、経営者は、その解決のために敢然と行動する。
経営層の優先順位
・経営者は、従業員の心の健康が生産性と同じくらい重要であることを認識している。
組織のコミュニケーション
・上司は、職場における心の健康や安心に関する情報をいつも私に提供してくれる。
従業員の組織参加
・私の組織では、経営者から一般従業員までの全員がストレス予防対策に関わっている。

心理社会的安全風土を醸成するためには

心理社会的安全風土尺度の項目を見て頂ければわかる通り、実は心理社会的安全風土づくりは何も目新しいものではありません。多くの企業で既にメンタルヘルス対策として行っているものと重なるのではないかと思います。そのため、新たに予算を獲得しなくても、既存のメンタルヘルス対策やストレスチェックの枠組みを利用できる点が、大きな強みであると思います。

重要なことは、経営層や上司が従業員の心の健康を守ろうと本気で思っていること、従業員も自分たちの心の健康が重要だと思っていることであり、心の健康を守るために経営層と従業員が一致団結して取り組んでいる状態であるかどうかです。経営層の説得には、従業員が心の健康を害することがいかに組織にとって損失となるのか、ハラスメントが発生することがいかに組織にとって損失となるのかを数値等で明確に示すことも有効です。ハラスメントの経済損失については、また追って解説したいと思います。

引用文献

  • 1.津野香奈美. ハラスメント対策最前線 科学的根拠をもとに進めるメンタルヘルス対策とハラスメント対策(10)パワハラ対策の一次予防、二次予防、三次予防 東京: (株)クオレ・シー・キューブ; 2021年11月 [Available from: https://www.cuorec3.co.jp/info/thinks/tsuno_01_10.html.
  • 2.Edmondson A. Psychological safety and learning behavior in work teams. Adm Sci Q. 1999;44(2):350-83.
  • 3.Dollard MF, Bakker AB. Psychosocial safety climate as a precursor to conducive work environments, psychological health problems, and employee engagement. Journal of Occupational and Organizational Psychology. 2010;83(3):579-99.
  • 4.Dollard MF, Dormann C, Tuckey MR, Escartin J. Psychosocial safety climate (PSC) and enacted PSC for workplace bullying and psychological health problem reduction. European Journal of Work and Organizational Psychology. 2017;26(6):844-57.
  • 5.Inoue A, Eguchi H, Kachi Y, McLinton SS, Dollard MF, Tsutsumi A. Reliability and Validity of the Japanese Version of the 12-Item Psychosocial Safety Climate Scale (PSC-12J). Int J Environ Res Public Health. 2021;18(24):12954.

(2022年9月)

プロフィール

津野 香奈美(つの かなみ)
神奈川県立保健福祉大学大学院 ヘルスイノベーション研究科 教授
人と場研究所 所長
産業カウンセラー、キャリア・コンサルタント
財団法人21世紀職業財団認定ハラスメント防止コンサルタント
専門は産業精神保健、社会疫学、行動医学。主な研究分野は職場のハラスメント、人間関係のストレス、上司のリーダーシップ・マネジメント、レジリエンス。

経歴

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。
日本学術振興会特別研究員、和歌山県立医科大学医学部衛生学教室助教、厚生労働省「職場のパワーハラスメントに関する実態調査」検討会委員、米国ハーバード大学公衆衛生大学院客員研究員を経て現職。

東京大学大学院医学研究科精神保健学分野客員研究員、日本産業ストレス学会理事、日本行動医学会理事、労働時間日本学会理事。

著書(共著)

「産業保健心理学」(ナカニシヤ出版、2017)
「集団分析・職場環境改善版 産業医・産業保健スタッフのためのストレスチェック実務Q&A」(産業医学振興財団、2018)
「パワハラ上司を科学する」(ちくま新書、2023)*〔HRアワード2023・書籍部門 優秀賞〕

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