ハラスメント対策最前線ハラスメント関連の判例解説(36)

部下から上司に対するハラスメント

難解な裁判例もわかりやすく解説!成蹊大学法学部教授 原 昌登 先生による「職場におけるハラスメント」に関する裁判例の解説です。
ハラスメントを未然に防止する観点から必要なことを、実際の裁判例をもとに考察し、企業におけるハラスメント対策の一助となることを目的とする連載です。
裁判例を読み解き、どのような言動がハラスメントと扱われるのか、そして企業はどのように対応すべきであったのかなど、企業のハラスメント対策上の学びやヒントをご提示しています。ぜひ企業でのハラスメント予防にお役立てください。
※裁判所の判断の是非を問うたり、裁判所の見解に解釈を加えたりするものではありません。
※凡例 労判○号○頁:専門誌「労働判例」(産労総合研究所)の該当号・頁

これまでの「ハラスメント関連の判例解説」はこちらをご覧ください。
ハラスメント関連の判例解説new

今回の記事で参照した裁判例は、M社事件・東京地判令和6・3・21労判1330号39頁です。

【テーマ】部下から上司に対しても、ハラスメントは成立します。

1.概要

今回は、部下が上司をメールで中傷したことが、裁判所によって「ハラスメント」に当たると判断された事例を紹介します

2.事案の流れ

不動産業を営むY社の従業員Xは、2021年3月、自身のパソコンの画面を上司のA次長から見られていると感じ、A次長に対し下記3①が書かれたメールを送信しました。また、A次長の担当業務(中小企業退職金共済(中退共)関係)で、掛金の額に誤りがあったことに対し、下記3②が書かれたメールを送信しました(以下、これらのメールを本件メールと呼びます)。
2022年8月、Y社は、本件メールを理由に、Xを降給降格の懲戒処分としました。もともとXは内臓の疾患を理由に短時間勤務を認められており、基本給も減額になっていましたが、Xの奮起を促すための特例措置として、減額の割合は労働時間の短縮分(13%)よりも低い6%とされていました。この降給降格処分によって、評価のクラスが1段階の降格となり、基本給が月額2万円の降給となるとともに、上記の特例措置が解除され短時間勤務による基本給の減額割合が本来の13%になったことで、月額では約4万2千円の減額となりました。
そして、2022年9月、Y社は、Xの言動が頻繁にほかの従業員等を傷付けている、顧客とトラブルを起こしている、パソコンを私的に利用しているといった(本件メール以外の)複数の理由を挙げて、Xを解雇(普通解雇)しました。
Xは、Y社に対し、(1)解雇が無効であるとして、労働契約上の地位にあることの確認等を求めるとともに、(2)降給降格処分が無効であり、処分前のクラス及び賃金を受ける地位にあることの確認を求めて訴訟を提起しました。
裁判所は、(1)について、Y社が主張する解雇理由はいずれも解雇理由に当たるとまではいえないこと、確かにXに一部不適切な言動等は認められるものの、Y社から注意指導をされながらも繰り返したといった事情はなく、改善の余地がなかったとはいえないことなどから、解雇は解雇権の濫用(労働契約法16条)に当たり無効であるとして、Xの請求を一部認めました。以下では(2)の部分に絞って紹介します。

3.ハラスメント行為

Xが上司であるA次長に送信したメールの中に、(パソコンの画面をA次長から見られていることに関して)①「いい歳のおっさんが目くじらをたてるところではありません。」「ストレスを感じ、かつ気持ち悪いので、そういう行為は止めてください。」という記載、(A次長の担当業務で金額に誤りがあったことに関して)②「総務のトップとして、頼りにならないにも程がある」という記載がありました。なお、メールの上記の部分については、太字や大きなフォントの文字で強調されていました。

4.裁判所の判断

裁判所は、本件メール(上記3)の内容について、「上司に対する礼節を欠く表現を用いて非難するもの」であり、部下のパソコンの画面を見るという「上司としての…監督行為について「いい歳のおっさん」「気持ち悪い」というように中傷する内容まで含まれている」と述べました。その上で、「これらはXの上司に対するハラスメントというべきものであり、職場規律違反に該当し部下と上司との関係といった企業秩序の根幹にあるものを乱す行為」であって、懲戒事由(懲戒の理由)に該当するとしました。
そして、降給降格の懲戒処分について、降格は1段階にとどまっており、降給も、基本給自体の降給は2万円で、短時間勤務による減額割合を低く抑える特例措置が懲戒処分の際に解除されること(結果的に2万円以上の減額となること)はやむを得ず、処分は重すぎるとはいえないとして、懲戒処分を有効と結論付けました。

5.本件から学ぶべきこと

本件の一番の特徴は、部下から上司に対する、礼節を欠き中傷するようなメールについて、「上司に対するハラスメントというべきもの」と述べた点です。
実は、部下から上司に対する、いわゆる「逆パワハラ」の事案は、これまでも見られます。例えば、本解説第30回のH市事件でも、部下が上司にハラスメントに当たる言動を繰り返していました。ほかにも、上司に対する部下の反抗的な態度等が問題とされた事例は数多く存在します。しかし、裁判所として、「上司に対するハラスメント」という表現を用いたのは本判決がおそらく初めてで、その点に大きなインパクトがあります。

労働施策総合推進法上のパワハラの定義には、「職場において行われる優越的な関係を背景とした言動」という要素が含まれています。多くの企業も、社内規程等におけるパワハラの定義として、同様の内容を用いていることでしょう。この「優越的な関係」とは、もちろん上司が部下に優越するという場面が多いわけですが、部下が何らかの理由で上司に優越することもあるということです。業務に関する経験や能力、個人の性格、その他の人間関係など、誰かが誰かに「パワー」をもつ背景には、本当にさまざまなものがあることを、あらためて意識する必要があるといえます。
したがって、ハラスメントの防止のためには、上司(管理職)の立場にある社員への研修が重要であることはもちろんですが、それにとどまりません。広く職場全体に対して、お互いの人格を尊重する、相手の立場や気持ちを考えるといった、基本的なことを繰り返し周知・啓発することも重要といえます。そうした取り組みが、職場内におけるハラスメントだけでなく、社外の相手との関係で生じるカスタマーハラスメント(カスハラ)の発生を防止する意味でも役に立つと思われます。
なお、以下はやや細かい点ですが、今回の降給降格処分は、本件メールの送信から1年4か月以上も経過した後になされており、Xはこの点も問題視していました。しかし裁判所は、処分がなされた2022年に、別件(Xが、職場において労働基準法違反の可能性があるのではないかという話を、社内全員にも一斉送信する形でA次長に送ったこと)をきっかけに、Xの勤務態度が社内で問題となり、そのために「Y社が本件メールの存在を知るに至ったと推認するのが最も自然である」と述べました。その上で、Xの行為は企業秩序の根幹を乱すものであり、懲戒権を行使しなければ企業秩序を維持できなくなること、そしてそれは1年4か月程度の時間が経過しても同様であることを述べ、処分を有効とする結論に変わりはないとしました。懲戒処分においては「企業秩序」がキーワードとなりますが、Xの行為が企業秩序を大きく乱すことに着目した判断といえるでしょう。

(2025年10月)



プロフィール

原 昌登(はら まさと)
成蹊大学 法学部 教授
1999年 東北大学法学部卒業
専門分野 労働法

著書・論文

著書として、労働法のわかりやすい入門書である『ゼロから学ぶ労働法』(経営書院、2022年)、論文として、「カスタマーハラスメント(カスハラ)の法律問題」成蹊法学97号223頁(2022年)、「カスタマーハラスメント(カスハラ)の法律問題(続)-B to Bカスハラを中心に」成蹊法学100号59頁(2024年)など多数。

公職

労働政策審議会(職業安定分科会労働力需給制度部会)委員、中央労働委員会地方調整委員、厚生労働省ハラスメント対策企画委員会委員、東京都カスタマーハラスメント防止対策に関する検討部会委員、労働基準監督官採用試験専門委員など多数。

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