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ハラスメント対策最前線科学的根拠をもとに進めるメンタルヘルス対策とハラスメント対策(3)
パワハラを直接受けていなくても、パワハラが発生している職場に勤務しているとメンタルヘルス不調になる可能性が高くなる
職場のいじめやパワー・ハラスメント(パワハラ)は、被害者に様々な健康影響をもたらします。これまでの研究で、パワハラは心理的ストレス反応やうつ病を発症させるだけでなく、心身愁訴や、狭心症・心筋梗塞・虚血性心不全などの虚血性心疾患、また全身に激しい痛みが生じる線維筋痛症なども発症させることがわかっています。
この図には、他にも注目して頂きたい点が二つあります。一つ目は、右側の「PTSD(心的外傷後ストレス傷害)症状」です。PTSD症状には、主要なものとして①精神的不安定による不安、不眠などの過覚醒、②トラウマの原因になった傷害、関連する事物に対しての回避、③事故・事件・犯罪の目撃体験等の一部や、全体に関わる追体験(フラッシュバック)があります。大声で怒鳴って人格否定をするタイプのパワハラを例にとると、①上司から怒鳴られたことで神経が高ぶって夜眠れない、②上司の顔を見ると動悸がしてくるため顔を見ることができない、会社に行くことができない、③上司から怒鳴られている映像が頭の中で再生され、何度も再体験してしまう、が具体的な例としてあげられます。
これらの症状は、職場における他のストレス要因(例えば、仕事量の多さ、給料の低さ、雇用不安、等)では決して起こることのない、パワハラに特有のものです。しかも、パワハラ行為が終わって5年経過した後にも、なお被害者の65%がPTSDに関連する症状を持っていたことが報告されていることから、こういった健康影響が長期間にわたって続くことがわかっています。
注目して頂きたい点の二つ目は、一番上の「パワハラを受けた人だけでなく、目撃した人も抑うつ症状が3倍に」の部分です。実は、パワハラを直接受けた本人ではなく、その行為を目撃した人もメンタルヘルス不調になることが報告されています。
そこで我々の研究では、それをさらに一歩進めて、「職場にパワハラが存在していると、その職場に所属している従業員の健康やモチベーションはどうなるのか」を検討しました。例えば、自分自身がパワハラのターゲットになっていなくても、同僚がいじめやパワハラを受けていたら、「次は自分がターゲットになるのでは?」と怖くなったり、「見ていて辛い。被害者が可哀想だ」と思いながらもうまく助けることができずに罪悪感を持ったり、なんとなく気持ちが落ち着かなかったり、居心地の悪さや働きにくさを感じるのではないかと考えました。
我々はこれをパワハラの波及効果と名付け、関東地方のある市の地方公務員2,037名を対象に、1年間の追跡調査を行いました。初回調査時に職場にパワハラが存在するかを測定し、その職場に所属する従業員の1年後の心理的ストレス反応と離職意思との関連を見たところ、実際に、個人のパワハラ経験に関係なく、パワハラが存在する職場にいると、その職場に所属する従業員が1年後にメンタルヘルス不調になるリスクが上がるということが立証されました。これは離職に対しても同じで、パワハラが存在する職場に勤めていると、その職場を辞めたいという意思が高まることが示されました。
なぜ、自分自身がパワハラを受けていないのに、具合が悪くなったり、仕事を辞めたいという気持ちが高まるのでしょうか?その理由は、二つあると考えています。一つ目は、「パワハラが存在する職場」が「心理社会的に安全でない職場」の代理指標となっている可能性です。心理社会的に安全でない職場ではパワハラが発生しやすいということが既存の研究で指摘されており、パワハラが発生しているような職場では意見が言いにくい、尊重されないといった特徴があります。そのため、そういった職場で働いているとストレスを感じたり離職したいと思ったりする可能性が高まるのではないかということです。もう一つの考えられる理由は、「職場にパワハラが存在すること」によって、職場や会社への不信感や雇用不安が上昇するからではないかというものです。自分自身がパワハラの次のターゲットになることを恐れる従業員もいるでしょうし、パワハラが起こっていることに対して会社が何もしてくれない、という事実は、会社への不信感を助長させ、従業員に絶望感を感じさせる可能性があるのではないかということです。
パワハラと聞くと、行為者と被害者の間の問題だと認識されがちですが、職場全体に影響が及ぶ問題であることを念頭に置いて対応する必要があると言えるでしょう。また、被害者側も「自分だけが我慢していれば良い」と考えるのではなく、誰かに相談したり助けを求めたりすることが、周囲の人のためにもなるのだということが理解できれば、より早く相談につながることができ、事態の悪化を防ぐことができることにつながるかもしれません。もちろん、行為者がパワハラをしないようにする、そしてその場にいる周囲の人間が傍観せず、すぐに注意したり介入したりすべきであることは言うまでもありません。パワハラが組織内に存在すること自体が、従業員をメンタルヘルス不調にさせ、離職を促進させる可能性があることを念頭に、パワハラ対策がさらに進められることを願います。
- 1.津野香奈美.職場のいじめ・パワーハラスメントの健康影響と組織への影響.産業ストレス研究.2013; 20: 207-216.
- 2.津野香奈美.職場のいじめ・パワーハラスメントの規定要因と健康影響・組織への影響に関する最新知見.ストレス科学.2016;31:37-50.
- 3.Tsuno K, Kawachi I, Kawakami N, Miyashita K. Workplace bullying and psychological distress: a longitudinal multilevel analysis among Japanese employees. J Occup Environ Med. 2018;60:1067-1072.
(2019年7月)
津野 香奈美(つの かなみ)
神奈川県立保健福祉大学大学院 ヘルスイノベーション研究科 教授
人と場研究所 所長
産業カウンセラー、キャリア・コンサルタント
財団法人21世紀職業財団認定ハラスメント防止コンサルタント
専門は産業精神保健、社会疫学、行動医学。主な研究分野は職場のハラスメント、人間関係のストレス、上司のリーダーシップ・マネジメント、レジリエンス。
東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。
日本学術振興会特別研究員、和歌山県立医科大学医学部衛生学教室助教、厚生労働省「職場のパワーハラスメントに関する実態調査」検討会委員、米国ハーバード大学公衆衛生大学院客員研究員を経て現職。
東京大学大学院医学研究科精神保健学分野客員研究員、日本産業ストレス学会理事、日本行動医学会理事、労働時間日本学会理事。
「産業保健心理学」(ナカニシヤ出版、2017)
「集団分析・職場環境改善版 産業医・産業保健スタッフのためのストレスチェック実務Q&A」(産業医学振興財団、2018)
「パワハラ上司を科学する」(ちくま新書、2023)*〔HRアワード2023・書籍部門 優秀賞〕
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