今回の記事で参照した裁判例は、国・人事院(L省職員)事件(最三小判令和5・7・11裁判所ウェブサイト)です。
【テーマ】LGBTQについて理解を深め、一人一人が働きやすい社会を目指しましょう。
1.概要
今回は、トランスジェンダーの労働者に対するトイレの使用制限が違法とされた事件を紹介します。本連載の28事件(高裁判決)が上告されて、使用制限を適法とした高裁の判断を最高裁が否定した事件です。
2.事案の流れ
平成7年4月から国家公務員として勤務しているXは、生物学的な性別は男性、性自認は女性で、平成11年頃に医師から性同一性障害の診断を受けました。性別適合手術は受けておらず、戸籍上の性別は男性ですが、平成20年頃から私的な時間はすべて女性として過ごしていました。平成21年、Xは勤務先であるL省に自身が性同一性障害であると伝え、女性職員として勤務したいと希望しました。同省はXと面談等を重ねた上で、平成22年7月、Xが性同一性障害であることに関する説明会を所属部署の職員に対して行い、以後、Xは勤務も女性の服装で行うようになりました。
ただ、L省は、他の職員への配慮の観点から、女性用トイレについては所属部署から2階以上離れた階の使用のみを認める(所属部署のある階と上下1階は使用不可)という制限を行いました。Xは、平成25年12月、人事院に対しトイレの使用に制限を設けないことなどいくつかの措置を要求しましたが(国家公務員は勤務条件について「適当な行政上の措置」を要求する権利があります〔国家公務員法86条〕)、平成27年5月に人事院は要求を認めない旨の判定を行いました。このほか、XとL省の面談において、Xの上司(所属長)Aが「なかなか手術を受けないんだったら、もう男に戻ってはどうか」と発言したことが事実として認定されています。
Xは国(Y)に対し、①人事院の判定の取消し、②トイレの使用制限に関する慰謝料の支払い、③上司Aの発言(いわゆるSOGIハラ)に関する慰謝料の支払いを求めて訴訟を提起しました。地裁(東京地判令和元・12・12労判1223号52頁)はトイレの使用制限及び上司の発言を違法と判断し、①について人事院の判定の該当部分を取り消し、②及び③について合わせて慰謝料120万円等の支払いをYに命じました。高裁(東京高判令和3・5・27労判1254号5頁)は、①の人事院の判定の違法性を否定し、それに伴い②に関する慰謝料も否定し、③に関する慰謝料のみを認め、慰謝料10万円等の支払いをYに命じました(本連載第28回を参照)。Xが上告したのが本件です。
3.問題とされた行為
最高裁では「L省によるトイレの使用制限」を肯定した「人事院の判定」が法的に許されるか否かが問題となりました(最高裁はこの点に絞ってXの上告を受理し、判断を行いました〔上告の受理・不受理については本連載第26回を参照〕。上司のSOGIハラの部分については、これを違法と認めた高裁の判断が確定しています)。
4.裁判所の判断
最高裁は、Xが「健康上の理由から性別適合手術を受けていないものの、女性ホルモンの投与…を受けるなどしているほか、性衝動に基づく性暴力の可能性は低い旨の医師の診断も受けている」こと、Xが上記2の「説明会の後、女性の服装等で勤務し…2階以上離れた階のトイレを使用するようになったことでトラブルが生じたことはない」こと、説明会ではXが所属部署の階のトイレを使用することに「明確に異を唱える職員がいたことはうかがわれない」こと、説明会から人事院の判定までの期間(4年10か月)、トイレの使用制限に関する「見直しが検討されたこともうかがわれない」ことなどを挙げて、以下のように述べました。
すなわち、「遅くとも…〔人事院の〕判定時においては、Xが…女性トイレを自由に使用することについて、トラブルが生じることは想定し難く」、(トイレの使用制限による)「不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかった」として、「人事院の判断は…他の職員に対する配慮を過度に重視し、Xの不利益を不当に軽視するものであって…著しく妥当性を欠いたもの」であって、裁量権の逸脱・濫用として違法であると結論付けたのです。(高裁判決が破棄され、人事院の判定の取消し等を認めた地裁判決の内容が確定することになりました。)
5.本件から学ぶべきこと
この事件は、LGBTQ※1の労働者への対応について、最高裁が初めて判断を行ったものとして注目されました。公務員の事例ですが、具体的な判断の中では「公務」という点がそこまで強調されているわけではありません。したがって、民間企業に関しても先例としての意味を持つと思われます。
最高裁の判断のポイントは、トイレの使用制限は具体的な不利益であり、Xが女性として5年近くもトラブルなく勤務していたのに、この不利益を課し続けることは許されない、とした点にあります。最高裁では判決に関わった裁判官(最高裁判所判事)が「補足意見」として見解を述べることが認められているのですが、裁判官の1人は「早期に研修を実施し、トランスジェンダーに対する理解の増進を図りつつ…制限を見直すことも可能であったと思われる」として、5年近く放置したことにつき「職場環境を改善する取組が十分になされてきたとはいえない」と述べています。この補足意見も示唆するように、使用制限を放置して見直しの検討さえしていなかったこと、つまり改善に向けた取り組みが十分でなかったことが、結論に至る大きなポイントになったと考えられます。
なお、上記の補足意見とは別に、「性別は…個人の人格的な生存と密接かつ不可分であり、個人がその真に自認する性別に即した社会生活を送ること…は重要な法益」であるという一般論が2名の裁判官から述べられています。法益とは「法的に保護されるべき利益」という意味であり、最高裁の判断のいわば大前提となる、重要な考え方であると思われます。
本判決から企業が学ぶべきことは、「LGBTQについてはこう対応すればよい」といったマニュアル的な思考・対応にとどまらず、当事者との対話をふまえ、具体的かつ継続的な取り組みを行っていくことが重要ということです。その際、周りの労働者が(LGBTQの労働者に対して)どう思っているかについて、「こう思っているに違いない」、「こういう対応を望んでいるだろう」などと勝手に一般化しないことが大切です。必要なのは対話等を通してしっかりとコミュニケーションを図ることで、そうしないと、思い込み等に基づき、実際には誰も望んでいないような対応が取られてしまうといったことも起こりえます。
一口にLGBTQといっても、一人一人の状況はまさに多様です。当事者が何に困り、何を望んでいるのか、そして、周りの労働者はどのように受け止めているのか。こうしたことを慎重かつ丁寧な対話で確認していくことが求められます。あわせて、先に紹介した「補足意見」も触れているように、知識不足、理解不足に基づく偏見をなくしていくための研修も有益ですね。仮にある時点では適切といえる対応であっても、時間の経過に伴い職場の理解等が深まっていけば、また別の対応が必要になるということも考えられます。マニュアル的な対応を行って終わりにするのではなく、具体的な状況の変化も見ながら、職場のすべての労働者が働きやすい環境を目指し、継続的に取り組んでいくことが重要ということですね。
お互いの多様性を尊重し合える職場にしていくことは、もちろん一朝一夕には難しいことかもしれません。しかし、そうした職場でまさに多様な人材が活躍することができれば、企業にとっても大いにプラスになります※2。例えば研修を行う際は、LGBTQに関する知識の伝達にとどまらず、より広く、多様性を尊重し合う姿勢や考え方を学べる研修を目指すのがよいでしょう。それが、SOGIハラをはじめとする様々なハラスメントの防止にもつながっていきます。今回の最高裁判決も参考にしつつ、具体的・継続的な取り組みの重要性を意識していただけたらと思います。
- ※1.Lesbian(同性を好きになる女性)、Gay(同性を好きになる男性)、Bisexual(両性を好きになる人)、Transgender(生物学的・身体的な性、出生時の戸籍上の性と性自認が一致しない人)、QuestioningまたはQueer(自身のセクシュアリティを決めない、決められない、分からない人)の頭文字より。なお、以下の法務省Webサイトも参考になります。
https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken04_00126.html - ※2.厚生労働省Webサイト「性的マイノリティ等多様な人材が活躍できる職場環境について」で資料が公開されています。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/koyoukintou/index_00010.html
(2023年9月)
原 昌登(はら まさと)
成蹊大学 法学部 教授
1999年 東北大学法学部卒業
専門分野 労働法
労働法の分かりやすい入門書(単著)として、『ゼロから学ぶ労働法』(経営書院、2022年)、『コンパクト労働法(第2版)』(新世社、2020年)。ほか、共著書として、水町勇一郎・緒方桂子編『事例演習労働法(第3版補訂版)』(有斐閣、2019年)など多数。
労働政策審議会(職業安定分科会労働力需給制度部会)委員、中央労働委員会地方調整委員、司法試験考査委員等。
ほか、厚生労働省「職場のパワーハラスメント防止対策についての検討会」委員(2017~2018年)等も歴任。